いとまの方法 – 追考

上久保直紀

 杉並学園アートプロジェクトは、児童養護施設の子どもたちに向けた教育普及活動に端を発している。児童養護施設は保護者のいない児童等を入所させて養育する福祉施設であるが、多くの施設ではさまざまな非営利団体からの教育支援が受け入れられ、入所する子どもたちに向けた多様な経験が供されている。学習支援から始まり、スポーツや音楽、プログラミングの体験など、休日の行事として行われるような支援活動も見られ、このアートプロジェクトもその一環として施設に受け入れられた。本企画主催の一般財団法人カルチュラルライツは、美術作品の鑑賞機会や造形ワークショップ体験を提供する非営利団体であり、その支援関係が本プロジェクトに結びついているのだ。美術教育プログラムの提供について打ち合わせる中で、老朽化のため五十年以上使ってきた施設園舎を取り壊すことになったという話を伺い、そこで提案に至ったものである。子どもたちを対象としたワークショップを展示会期に先立って実施し、その制作物も一作品として扱って展覧会を構成するという教育普及的な企画性も、この開催経緯から導かれている。

 児童養護施設は児童が生活をするための福祉施設であり、極めてプライベートな場である。食事をし勉強し遊んで休み眠る、家のような空間だ。本来オープンにされることのないそのような場で展覧会の開催が受け入れられたのは、やはりこの園舎取り壊しというタイミングが施設にとって大きな節目だったからだ。施設の運営者に、上記のような児童に対する教育への関心と併せて、施設の長い歴史の中で送り出してきた多くの卒園生や元職員が持つ園舎への愛着や、取り壊しに対する切ない思いに応じたいという意向があり、それに提案が合致した。そうして本展は施設に関わってきた人々や施設園舎に刻まれた記憶と歴史を主題に、「いとまの方法」という展示コンセプトへ向かっていくこととなった。

 本企画は「杉並学園アートプロジェクト」の名の通り、「杉並学園」という特定の施設の固有性に立脚している。ワークショップの参加者も外部に募集することなく当時杉並学園に暮らしていた子どもたち三十一名のみを対象とし、内容もそこで暮らしていた子どもたちが参加するからこそ成り立つものを用意した。施設の記憶や園舎に残る生活の痕跡に向き合うというのはそういうことであるし、そういった意味で、本企画は大部分がプライベートな領域で占められたものと言える。

 企画コンセプトの末尾が“美術作品が「この施設に関わってきた人々の記憶に触れ、刺激し、思い出が編み上げられていく過程にポジティブに介入することができる」かどうかを模索する”という宣言で結ばれているように、限られた対象に向けた企画であることを隠していない。このテキストはもともと作家への出展依頼に際して用意した呼びかけ文であり、それをコンセプトと言い換えてそのまま企画趣旨の説明として掲出したのであるが、強調したいのは本企画には明確なターゲットがいて、それは杉並学園に暮らす子どもたちであり、職員や支援者、近隣住民、施設の長い歴史の中で巣立っていった元園児や元職員であったということだ。

 このようなクローズドな性質が根幹にありながら、あくまでも「いとまの方法」は展覧会として公に開かれた。ここにはアンビバレンスがある。後援には杉並区や杉並区社会福祉協議会の名もあるが、これは本企画が来場者に児童福祉の現場を知ってもらい、理解を広げる契機となり得ることが考慮され、そこに公共性が見出されたものだ。しかし展覧会として開催された以上、そういった社会的な機能とは別の意味でも各作品は公にさらされた。プライベートな生活の痕跡が残る施設園舎の生々しさの中で、そこで生活していた人々を第一の鑑賞者として想定しつつ一般にも開かれ、単にインナーサークルに向けたわけでも単にパブリックを志向したのでもない。この特異な展示状況となることを前提に、参加作家は各々の距離感で施設に向き合い作品を用意したのである。その結果としてそれぞれの作品はどのように立ち現れ、鑑賞されただろうか。本稿では、閉じられたものと開かれたものの間に位置するもの、公私の線引きを超えたり超えず留まったりしたものの合間や、場所の固有性に対するアプローチと普遍性を志向するバランスについて考え、各作品を論じていくことで「いとまの方法」の一解釈を残したい。

 補助線となるのは親密圏にまつわる考察である。思えばコロナ禍は親密圏の境界を強く意識させるものであった。マスクの着用義務や施設出入り口のアルコール消毒など内と外との線引きが儀礼的な身振りを伴って可視化され、外部では許されない距離がそれぞれの家の中でのみ許容される状況になった。ソーシャルディスタンスはソーシャルに距離感が規定されるべき公の場とそうでない場があることを明示的に分別し、それを通して暗にその距離を越境しても構わない身内なる関係性(マスクを外しても構わないような関係性)を定義した。英国首相であったボリス・ジョンソンは、コロナウイルスに感染した療養中「社会というものはまさに存在する(there really is such a thing as society)」と発言し、マーガレット・サッチャーの「社会なんていうものは存在しない(there is no such thing as society)」という新自由主義を修正したが[1]、引用されたサッチャーの言葉には「あるのは個々の男と女、そして家族である(there are individual men and women, and there are families)」[2]という続きがあった。社会という存在の強調は、むしろそういった個や親密圏の輪郭と境界を浮き彫りにしただろう。

 しかしそもそも他者同士が生活の場を同一にする児童養護施設は、いわゆる親密圏として定義されるのとは異なった親密性で構築されてきた。児童福祉法で定められる公的な施設ではあるが、子どもたちの寝食を支援する生活の場であるという性質上、擬似的な親密性によって特異な私的領域が作り出されるのだ。近年では大人数が一緒に暮らすような運営方式から小規模なユニット単位での運営に移行していくなどの潮流も見られ、一般的な家庭に近い環境の構築が目指されながら、しかし職員が雇用者として捉えなおされ労働環境が整理されていく只中にもあるなど、公私の区分において独特の過渡期にある。コロナ禍における親密圏のテリトリーの問い直しも別の論理で迫られ、施設によっては訪問者を児童との関係性で段階的に分類し、それに基づいて立ち入れる領域を制限するなどの試行錯誤も見られたようである。このような特殊な親密圏(らしきもの)とその周辺で、プライベートな領域だったはずの各部屋(子どもたちが寝起きした部屋)をもクローズドな志向性を保ちながらオープンにした本展は、作品を介してさまざまな境界の上を行ったり来たりするような展示となった。


 施設の子どもたちや施設園舎へのアプローチの仕方と距離の取り方は、出展作家ごとに大きく異なる。施設の下見も、参加が決まってから一、二回程度で設営を迎えた作家が多いが、十日以上通った作家もいる。ワークショップのファシリテーターとなった作家は子どもたちとの直接的な繋がりも強いが、展示会期が始まってから初めて出会うことになった作家もいる。

 会場に足を踏み入れて真っ先に目に入る吉川陽一郎《行為が態度になる時間》は、先端に鉄球のついた棒を持った吉川が園庭の一点を中心にコンパスの要領で紐を引き、円を描くように鉄球を転がしながら周回しつつ、通りがかった来場者に参加を促してその棒を受け渡す作品だ。ループする目的地のない歩行は、物語や意味を表現するための演技とは異なり、技術が要されるダンスとも似て非なる、誰もが簡単に再現しうる純然たる行為そのものの提示である。吉川は参加者と言葉を交わすが、必然と何度も出会うことになる施設職員や子どもたちとの交流は会期中に深まっていき、関係性と展示が同時にライブで形作られていくものとなった。

 転がされた鉄球はコンクリートを削り、園庭に円型の白い線を残していく。しかしこれはあくまで歩行の結果残るものであり、描線を残すために歩行が行われるわけではない。描画を目的とした合目的行為の結果として描線が生まれるのではなく、いわば「純」行為の結果として描線が残される。五十年以上使用された児童養護施設園舎を会場にし、施設内の家具や貼り紙、天井の染みや壁のらくがきなど、生活の痕跡を残したまま構築された展覧会の入り口にあたる園庭で、吉川や来場者が痕跡を残す行為の積み重ね(生活の身振りのような)を延長しているとも解釈できる。参加者には施設の子どもたちや職員、かつて関わりのあった元園児、元職員、支援者、地域住民だけでなく、本展が開催されるまで施設と一切の関わりがなかった来場者も含まれることとなるため、本来プライバシー確保のためにオープンにされないはずの施設が展覧会という催しによって開かれてしまっていること、それを通してなにかしらの跡が否応なく残っていくことが暗喩的に示されるのである。

 また行為の結果として残る円は、園庭の一部分を切り取ってその内側に空白を立ち上がらせているようでもあり、このイメージは他の作家の出展作品に見られる空白や穴の表現とも連なって「いとま」のアナロジーとなり、全体を貫くこととなった。


 抽象的な仕方でテーマにアプローチしたものだけでなく、取り壊しに際して廃棄予定となった遺物を転用した作品や、施設の子どもたちとのやりとりをもとに構築された作品など、直接的な関係性が下地になった作品も見られる。

 木村桃子は施設で使用されていたおもちゃを用いて新作《Spring Triangle》《Pegasus》を制作し、出展した。使われたのは施設下見の際に目に留まった、廃棄予定のスペースに置かれていた木製のおままごとセットだ。調味料入れなどが仕舞えるようになっている木製のシンクに、同じく木製のフライパンや鍋を置いて遊ぶおもちゃがベースとなり、モチーフとして星座が持ち込まれることで作品化された。《Spring Triangle》は一見おままごとセットそのままのようで、シンクに置かれた鍋の底ややかんの蓋にファイバーがあしらわれた穴があり、中に仕込まれたライトによって星座の形に光が漏れる。《Pegasus》は立てられた木材に複数の調味料入れが突起物のように接着された作品で、それらにもファイバーのセットされた穴が開けられており、奥の窓から差し込む光を透かして星座が描かれる。

 これらは出展作品《星をたくわえたひと》を始めとする2021年に発表された作品群の系譜にある。《Kouma》や《Orion II》なども同様に穴を穿つことで星座をモチーフに取り込んだ木彫作品だ。この手法は、立体作品にその質量や体積以上の時間、空間を取り込もうとしたものと解釈できる。

 星座は距離を大きく違えた星々を同一平面上に見て絵を見出す営みである。同時に視認できる並んだ星々も距離に応じたそれぞれの時間の含みを持っており、その光が一見それとはわからないような絵を描くために結ばれる。木村はモチーフに星座を取り込むことで星座が持つそのような圧縮された時間と距離の含みを作品内に封じ込めている。一般的に立体造形物は写実絵画のように空間的な広がりをイリュージョンさせることなく、その作品の持つ物質的なボリュームをあからさまに知覚させるが、この手法によって疑似的な奥行きが生まれる。

 施設で使われていたおもちゃが素材となってこの手法に組み合わされたことで、施設の歴史という時間の蓄積や、長年使われ取り壊されるのを待つことになった展示部屋の空間の厚みが圧縮され、作品内に内包されることになった。


 同様に施設で使用されていた遺物を素材に取った作品に、西村卓《埋める -記憶の痕跡-》も挙げられる。

 食堂で使われていたダイニングテーブルが素材とされており、天板に多数の溝が彫り込まれ、塗料や石膏がかけられている。このテーブルを始め、施設には棚類を中心に手作りと思われる家具がいくつか見られ、そのどれもが現職員が働き始める前から受け継がれているものだった。しかし施設運営を取り巻く環境が変化して職員も福祉の専門職となり、安価な家具も容易に手に入るようになった今、そのような家具が再度製作されることはもうないだろう。西村は下見の際に廃棄予定となっていたテーブルを見つけてピックアップし、その表面に残っていた無数の傷を誇張するかのような溝を刻んで、「埋める」作業で記憶を主題とした本作を作り上げた。

 児童が暮らしていた一室を砂で埋めたインスタレーション《どこにでもいける扉》も取り外した施設の扉が使われ、会期前に実施した西村のワークショップ「みんなの街をつくる」でも、西村が持ち込んだ木材のみならず廃棄予定のおもちゃや生活雑貨、家具を好きに配置して空間づくりできるようインストラクションが行われた。施設の歴史を主題化するにあたり、西村はモノに残っている傷や経年劣化をそこに宿った記憶に読み替え、施設に関わりのなかった鑑賞者にも時間の厚みが感得できるよう普遍性の獲得を試みているのである。


 ゆにここ《夢》も部屋に残されたベッドをそのまま取り込んだ作品である。

 部屋の中央に置かれたベッドには白やベージュのさまざまな布地で作られた楕円状のクッションが敷き詰められ、そのベッドの周囲には同様の素材やレースや和紙で作られた異形の造形物が配置される。造形物からは触手のような形体が無数に伸び、生命のような有機性を感じさせる。ベッドの脇にはアンティークのミシンが置かれ、白いオーガンジーが縫われようとしている途中の状態で止められている。

 中央に置かれたベッドは、作品タイトルにもなっている「夢」についての想像を駆動させる。子どもたちが眠った時間で見られてきただろう「夢」や、その部屋で夢想されてきただろう「夢」が重ねられ、部屋に残存する気配が不定形の造形として可視化されているようである。ベッドには腰掛けたり寝転がることができ、この体験的な要素によって、鑑賞者は部屋で眠ってきた子どもたちと自身を重ね合わせ、プライベートな記憶の領域に擬似的に踏み込むことができるよう導かれる。

 設置されたミシンはゆにここが持ち込んだものであるが、この構成は元職員が執筆したかつて施設にあったシンガーミシンの話(丸山文男「杉並学園と私」)に着想が取られており、この呼応により施設で暮らしていた人々の記憶との接続が強められている。


 深浦よしえも施設内のタンスや棚、机から引き出しを集め、主要な構成要素としてインスタレーション《タイムマシーン》を制作した。

 大量の引き出しが床に縦置きにされ、その周囲にはたんぽぽの綿毛や草花、廃棄予定のおもちゃが散らされている。綿毛や草花は深浦が日々収集したものに加え、施設の園庭や子どもたちがよく遊びに行くという近辺の公園で採集されたものも使われているほか、天井からもドライフラワーや枝葉が吊るされ、詩的な空間が構築されている。

 引き出しにはそれぞれ紙がピン留めされていて、一枚一枚にとあるクエスチョンに対するアンサーが羅列されている。これは施設の子どもたちと職員に向けて深浦が送った質問状への回答一覧である。質問状の内容は壁に転写されており、鑑賞者は質問と回答を照らし合わせることができる。「好きな曲はなんですか」「好きな色はなんですか」といった一般的な質問から、「戦争がなくなるにはどうしたらいいでしょう」「あなたが王様だったらどんな法律を作りますか」といった内面性の現れる問いまでさまざまだ。深浦と子どもたちとのやりとりを介して、鑑賞者は施設での暮らしの一部を覗き見るようである。

 部屋の入り口前には深浦によるテキストが掲示された。本作品で引き出しの中に展示された言葉が、机の奥で存在を忘れられてしまった手紙に重ね合わされるようなテキストで、その内容を鑑みれば、深浦の遺物の扱いは前述の諸作品のように普遍性の獲得に資するというより、施設の子どもたちとのインタラクションを深めることに向けられていたと捉えられるだろう。


 施設の子どもたちとの直接的なやりとりが反映された作品には、ワークショップを通して園舎全体に拡散された堀江和真《イメージを置く》がある。

 《イメージを置く》は雑多ならくがき的図像をプラ板で大量に制作し、マグネットを使って鉄の支持体を覆う作品である。廃材などを埋め尽くした作品もあるが、本展では施設の設備や家具、防火扉にマグネットが貼り付けられた。無尽蔵に生まれるらくがき的な図像を都度構成/再構成できる形態にすることで、設営の度に絵画を制作するように作品構築が行われる。

 ワークショップでは堀江の当該作品をイメージし、子どもたちにもプラ板マグネットの制作を行ってもらった。施設の取り壊し前の最後の機会として園舎の中を歩き回り、気になったものや思い出のあるもの、思いついたものをスケッチしてモチーフにしてもらっている。

 施設運営の論理が時代とともに変わり、それに合わせて増改築が繰り返された施設園舎には目を引く要素が多々ある。できる限り小規模な単位で運営するべきだという考えが拡がったことで、壁が立てられて個室が増え、同じ建物の中でも二つのグループホームに運営が分けられたことで玄関も後から追加されるなど、構造の面でも特筆すべき点があるし、古い木製の壁付スピーカーや玄関に飾られた置物、創設者の像、フキダシでさまざまな注意を喋らされたキャラクターの貼り紙類、張り巡らされた延長コード、献立表、扉に貼られた折り紙の装飾など、細部にも生活や歴史の痕跡が残っている。

 堀江自身の作品は三ヶ所に設置されたが、施設の子どもたちは貼り付ける場所も自身で探して施設内に散らした。消火栓や階段の手すり、空調機、建具など、隠れるように散らばった作品は、子どもたちの施設の記憶として偏在し、展示全体の背後に通奏低音として流れることになった。

 泉里歩は油彩のタブロー二点とマーカーのドローイングでできた立体作品、ボールペンによるドローイング作品に加え、施設の壁面一面を使用して壁画《夢で溢れていないか》を描いた。

 泉は油彩においてもドローイングにおいても、モチーフが判然としなくなるまで筆致を重ね、具象性を解体していくのが特徴的である。人物の頭髪のような大きなストロークがいくつか残されることでモチーフは判読可能であるものの、皮膚や衣服の表面などは遊動する筆致で埋め尽くされ、背景と一体化している箇所も多い。それにより演劇的にも見える構図に関わらず物語性を感じさせず、画面表層の表情の豊かさが前景化する。十日以上に渡って施設に通い油彩で描かれた壁画も同様で、子どもたちが絵を描いている場面がモチーフとされながらそのストーリーは強調されない。施設園舎の建築そのものに対するアプローチとして、多くの人が住まい、卒園していった残像的なイメージを曖昧な図像として汲み上げたとも読めるだろう。

 立体作品《眺める色彩のダンス -No.0-》の空のショーケースのような造形は、施設の窓面をキャンバスに子どもたちが絵を描いたワークショップ「眺める色彩のダンス」のもとになっている。ワークショップで描かれた窓面の作品は画面の完成度が求められていない分生々しく、生きた人間の息遣いをそのまま感じさせる。透明な素材が透かす奥の風景に線描が重なると、やはりモチーフの形体が捉えにくくなるが、外部と内部両面から鑑賞できる本シリーズはさまざまな境界線を体現する本展において示唆的だ。


 施設の空間を活かしながらも現実には子どもたちへ接近することなく、素材等も施設から取らず直接的な結びつきを避けた作家も、主題の上で施設や施設の子どもたちに向き合い、作品でそれぞれ特有の距離感を滲ませた。

 安部寿紗は自身の幼少期を写した家族写真と、家族について執筆したテキストを組み合わせた作品《偶然の賜物》を出展した。空間に浮いているかのように展示された家族写真は、半紙にプリントされ、線香で焼き落とされた無数の穴が開けられている。テキストは冊子としてまとめられ、展示空間の中で読むことができる。児童養護施設はなんらかの理由で(狭義の)家族と離れて暮らす必要のある児童のための施設であるが、安部は家族というモチーフを調査や統計ではない自身のケースとの徹底的な対峙によって取り扱っている。

 本来他人のものを見る機会のない家族写真がさらされ、徹頭徹尾作家が自身の個と向き合うことで生まれた「他者」的な作品であるが、生活の痕跡がありありと残る空間との調和も相まって「他者」としての印象は弱い。写真に開けられた穴が「米」をモチーフにしたものであることで、米粒大のモザイクとして写真の像がぼかされ、やや匿名化されつつ、同一の食文化圏内において一定の郷愁を誘うためだろう(おにぎりを食べた後の手のひらのような)。個に向き合った作品でありながら、おぼろげな記憶の欠落がビジュアルな意味でも穴という空白で示され、その間隙が鑑賞者自身の記憶で埋められることでプライベートな領域に裂け目が入り、普遍性が獲得されるのである。


 三田村光土里《プライベートルーム》も作家自身の経験と記憶を主題にしたプライベートな領域に観者を招き入れる作品だ。

 子どもの写真が転写されたライトが壁付けされた作品で、写真は作家の幼少期のものが使用されている。シーリングライトが転用された明かりは月のように円型で白く、子どもなりの憂鬱を抱えた複雑な表情とともに部屋を照らし出す。無垢な存在としてではなく、それぞれに深淵なる内面を抱えた人間としての子ども像が提示され、その生きづらさに静かに寄り添うようである。

 プライベートルームとは一体どこに存在する/した場を指しているか。三田村の作品において使われた肖像が、社会に接続されはじめる年齢のものであるのは、作家本人が写真を撮られた当時感じていた、求められるようになってきた集団行動への忌避感が反映されているためである。その意味で単に精神的な自閉性を指しているのではなく社会との摩擦が意識されている。考えてみれば子どもとして扱われ内面が単純化されるということは、家の中のような親密圏内においてもプライベートの領域が制限されるということであり、親密性が機能不全に陥った状態とも言える。

 哲学研究者の橋爪大輝は、ハンナ・アーレントによる親密圏に対する批判的な議論を以下のように整理している[3]。アーレントは親密圏を「「愛」や「やさしさ」といった柔和な感情が立ち込め、社会の厳しさからの避難所となる」ような「〈感情の空間〉」として特徴付け、その「隔たり」のなさが言語による意見の表明や交感の可能性、公的なもの(政治)との接続を塞いでいる点を批判しているという。

 前述してきたように児童養護施設は家的なものを社会的に構築する福祉施設であり、そこで形成される親密性は特殊な様相を帯びている。アーレントの親密圏についての言及は「公的」なものと「私的」なものとの対立において為されているが、児童養護施設は社会的に構築された公的な性質を持ちながらある種擬似的に私的な領域を作り出すものであり、かつてはあからさまに擬似家族的だった運営も制度の整備に伴って変化していく過渡期にあるという点で極めて特殊な場だ。そして園舎はそれを体現する、感情ではない社会的養護の精神と公共性に立脚して実現された私的空間である。この特殊な領域で展示された作品は、アーレントの定義する親密圏では封じられてしまっているような言語的な交感の可能性を、言語とは異なった位相で切り開き、同じものを見て違うことを思い表明しうるハブとして機能した。

 作家や作品は施設にとって第三者的存在であるが、そうであるからこそ施設の歴史や記憶という私的なものに対するアプローチと普遍性を志向する技術が同時に投入されることとなり、施設園舎が元来持っていた特異な親密性を引き出しつつ、それを公に開いて外部と共有可能な交感の回路を作り出すことができたのである。本展においては一定の親密性を保持したプライベートな空間(ルーム)が、アーレントが批判の前提としていた政治との接続の問題とは別次元ではあれど、「隔たり」を内包した親密圏として示されたのかもしれない。

 各作家の取り組みや作品についてさらい、親密圏と公に開かれたことによる効果、プライベートな内的領域を切り開いてみせる作品の現れ方について考えてきた。取り壊される施設園舎での展示という機会の希少さ、コロナ禍という社会的状況、各作家がそれぞれ異なる距離感で臨んだテーマへの取り組みによって生まれたこれらの視点は、施設を取り巻く制度や変化していく感染症の状況によっても問い直され続けるものだろう。展示空間を外部に求める取り組みやサイトスペシフィックなあり方をめぐる議論と実践は多々見られるが、場の歴史とその空間が形成してきたコミュニティの性質が、単なるエクスキューズとしてではなく鑑賞経験に作用するために必要なのは、言語以外で認識できるビジュアルな痕跡を拾い上げていく手作業の緻密さと、過去の遺物であるその痕跡を介して現在を問い、投射して見せる方法だ。必ず現れるアンビバレンスな歪さに対して、それを取り除かずに成立するキワに立ち、見えてきたさまざまな論点を生のまま提示するのが「いとまの方法」の方法だっただろう。あらゆる方法がすぐに通用しなくなる不確かな状況であるとしても、これがひとつの参照点となっていけば幸いである。

[1] “There is such a thing as society, says Boris Johnson from bunker,” The Guardian, Mar.29.2020.  https://www.theguardian.com/politics/2020/mar/29/20000-nhs-staff-return-to-service-johnson-says-from-coronavirus-isolation(2022年9月閲覧)

[2] Keay, Douglas. “AIDS, Education, and the Year 2000: An Interview with Margaret Thatcher,” Woman’s Own, Oct.31.1987. pp.8-10.

[3] 橋爪大輝「アーレントによる「親密性」批判の意義」『国際政経論集(二松學舍大学)』第26号、2020年3月、pp.121-137。